NTL版「ハムレット」を観てきました

2月20日にTOHOシネマズ日比谷でナショナル・シアター・ライブ映画「ハムレット」を観てきました。2025年9月にロンドンのリトルトン劇場で上演されたプログラムのライブ映像です。

本作のロバート・ヘイスティによる演出は、現在一般に使用されているテクストに1603年の粗悪な初版本からセリフを取り入れたり細かな段取りを変えたりと、良くも悪くもいろいろな趣向が凝らされており、「あれ、いつものハムレットと少し違うぞ」という印象が随所に感じられました。

主役を演じたスリランカ出身のヒラン・アベイセケラは、自らに降りかかる運命の重圧に押しつぶされそうになる等身大の青年ハムレットを過剰なほどの感情表現で演じたかと思えば、エディ・マーフィばりの道化めいたセリフも快調で、硬軟のメリハリの効いた熱演でした。

今では当たり前になった多国籍キャストに加え、先日の大竹しのぶ演じるリア王のようにジェンダーレスな配役も今や世界標準なようで、ハムレットの親友であるホレイシオ役をアジア系の新人女優テッサ・ウォンに委ねた配役は見事に的中したと言えるでしょう。

ご存知のように、今から25年前、2001年9月11日にアメリカ・ニューヨークで凄惨な同時多発テロが勃発しましたが、その翌年に、なぜかとても印象深い「ハムレット」が3本立て続けに国内外で上演されました。その印象をもとに書いた「9. 11以降のハムレット」の中で私は、第一幕第五場の亡き父の亡霊の「復讐せよ、されど心は汚すな」という言葉をヒントにハムレットの崇高な悲劇性とは何かを考察しました(そのエッセイは私の『振り向きざまのリアル』知泉書館、2022年に再録されています)。

それから四半世紀たった今も、殺戮と復讐の連鎖は終わるどころか、ガザやウクライナでますます泥沼化しています。そうした現実に向き合わざるを得ない私たちにとって、もはや「ハムレット」とは、その崇高な悲劇性がどうこうという話では収まりのつかない、むしろ皮肉まじりのセリフが飛び交う現実世界のパロディとしか受け取れなくなってしまったのかもしれません。