「リア王」を観てきました

新宿・歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaでフィリップ・ブリーン演出の「リア王」を観てきました。老王リアを大竹しのぶが演じることが話題になっていましたが、横暴でマッチョな家父長の転落の悲劇という図式から意図的に離れたことによって、いろいろと発見のある面白い舞台になったと思います。(BUNKAMURA「リア王」ホームページ

そもそも性別を超えたこのキャスティング自体が17世紀初頭のイングランドの家父長的王政という構図を最初から脱臼させ、〈老いの偏狭さがもたらした、不信と錯乱と孤独の果ての物悲しい人間性回帰〉というこの戯曲の秘められた筋を現代の我々に示唆して余りあります。

道化(勝村政信の軽妙さが出色)がおもむろに煙草に火をつけ吐く紫煙から劇が始まり、まったく同じ所作で吐かれた紫煙で劇が終わるという意味ありげな演出自体、このシェークスピア劇を現代日本社会が抱える高齢化や格差社会、世代間問題のシニカルな戯画として描いているように思われてなりません。

なお今回のこの公演は、ニナガワ・メモリアルと銘打たれ、故蜷川幸雄生誕90年を記念したものですが、思い出されるのが26年前に蜷川が英国のロイヤル・シェークスピア・カンパニーを率いて日英両国で上演したリア王です。リア王役の名優ナイジェル・ホーソンをはじめ、全て英国人キャストの中、唯一、道化役として真田広之が完璧な舞台英語をマスターして挑んだ舞台でした(よろしければ、当時の私の観劇記録もお読みください)。

26年前は、リア王の老いの嘆きを他人事のように眺めていた私でしたが、今回は、それが我が身のことのように感じられた舞台でした。